私はスチルと動画の撮影者で幼稚園・小学校・中学校・高校にも出入りして子供たちとも先生たちとも交流を持つ機会がありますし 初歩的なドキュメンタリーも撮影しています そうした経験から 監督とチームが素晴らしいテーマを見つけて素敵な作品に仕上げられたことが羨ましくもありますが 並大抵の仕事ではなかったことが理解できて 膨大な量の良質な映像を撮られしっかり編集された皆さんに最大限の敬意を抱きました いじめや不登校という問題はありますし 先生から生徒へのきつ過ぎる叱責を傍で聞いて身がすくむという経験もありますが 全体として各学校からはとてもポジティブな印象を受けています この映画が 日本の教育と社会を更に善いものにしていく大きなステップになることを祈っています
明治政府は教育方針として、すべての地域に「自分の足で通う」事の出来る距離に小学校を「地区の一番いい場所」に作り、「社会経験が豊富で学識のある素晴らしい人物を校長」とし「初等教育の大切さ」をまず大人たちに植え付けた。対して西欧は「最高の学者を育てる大学」を優先させたのとは大きく異なる。
ナレーションのない映像が新鮮だった。入りにくいかもしれんが、入ったら刺さるスタイル
今から70年近く前になりますが、私が小学校2年生の時に、羽仁 進監督の短編ドキュメンタリー教育映画で話題になりました (教室のこどもたち)何人かの性格が気になる子供の生活を記録した映画(私もその中の一人でした)を思い出し感動しました😂❤
コメント復活した。良かった! やっぱり日本の美徳は子供のころからきちんと育まれる仕組みがあったんだね。文化に根付いてるってことだね
鬼のように見える厳しい先生も(いや実際そう見えちゃったw)実は絶対に必要なピースの一つなんだろうなぁ。
木原くんの頑張りもよかったなぁ
男の先生凄く厳しくて優しかったな それでもよく立ち向かったな女の子は
子供たちの未来の為に選挙にいきます。
そら海外で真似ようと思うても簡単には真似できんわな
一年生の担任の女の先生がとことん優しく、児童は彼女を慕っている。まるで母と子のように。それだけに最後の後ろ姿には泣いた。 六年生の担任の丸坊主の先生は新米なのだろう。先輩の女性の先生から注意されて謝っていたり、誰よりも早く登校し頑張っている。しかし児童に強く当たると親から指摘されるのだろう、心が折れたり、どこか空回りしている様にも見える。卒業式の時、合奏の先生からネクタイを直してもらったり、自分の子供と思われる男の子をおんぶしていたり、先生も普通の人間なんだなあと思った。 放送委員の男女2人には何か起こりそうなシチュエーションだけにドキドキした。
小学校は地方でも老人と交流をしています。実家の目の見えない兄に運動会の招待や年賀状がきたり、お弁当を自治会の人と配る等。またリタイアした老人は横断歩道の見守りや挨拶を自然にしています。かつては兄弟も多かったのでイジメも陰湿なものは無かった気がする。イジメのガキ大将には必ず頭の上がらない兄とかいたので、同学年でしか遊ばない社会とは違う。韓流ドラマのように親が金持ちだからとマウントをとる子供はいない。
小学校教師のなり手が少ないのは心配です。心労ばかりで報酬は少なくとも、誰もやりながらない仕事になっています。 モンスターペアレントや休日仕事など、教師の仕事はヒドイ状態です。このままではシステム崩壊になります。
「小学校」まだ地元では映画館でやってないんよね。短編版がアカデミー賞取ったら見れるかな
沖縄でもまだ上映されてない。早くみたいな
気づきの多いドキュメンタリーでした。 ただ気になったのは、なぜこの様な教育をしていながら中学、高校、大学、そして社会へ巣立って行った私達は、このドキュメンタリーに出ていた子供達とはまるで真逆な人間へと退化してしまうのだろうか?
ショーシャンクの空にを超えた映画です。日本の指標になるドキュメンタリー映画。
人は急には社会人には成れない。 小・中・高と徐々に決まり(校則)を守る練習をしていく… はずなのだが最近は違う様だ。
小学校の時はね、教師は座り方まで指導したりしましたが、中学になった途端、指導がいい加減になるんです。 小学校の時に築き上げた習慣が中学でどんどん崩壊(授業で挙手しなくなる、先生の代わりに黒板を消さなくなる、起立礼の礼が曖昧になるなどなど)する様を実体験したものです。35年くらい前の話ですが
@hitoshikijimoto-ns7ur