「健全な比較は他人との比較ではなく理想の自分との比較」と何かで聞いてまさにそうだと思って、以来生きるのが少し楽になりました。
アイデンティティが確立されてないが故に、自己と他者の境界が曖昧のままで、嫉妬みたいな他者ありきの感情が湧き上がる。
幹弥先生のように「他人と自分を比較して劣等感を感じることが意味ない」と感じる人ばかりだと、人はそんなに劣等感を抱かないと想います。でも、人に基準があり、それより下回ると、この人は低いと判断され たり、世の中は、そうなっているんだなと想いますね。幹弥先生の劣等感を感じないと言う発言に驚き凄いなと想いますね。自分も、早く、そこから抜け出せないか!と想っています。幹弥先生に癒されている毎日です。
こういう比較をしてしまう人は悩むことが趣味というか癖になってしまっていますよね
スティーブンジョブズ「他人と比べるな、それは自分に対する最大の侮辱だ」 そもそも一人ひとり毎日24h寮生活みたいな全く同じ生き方してきた訳じゃないから、100m走のよーいドンッみたいな単純に比べられんない。 他人ではなく、昨日の自分と比べよう‼
これからの時代に大切なのは「孤独力」だと思います
本当に先生のおっしゃるとおりです。 私は二卵性双生児だったので、産まれてすぐから比較ばかりされる環境でしたが、ハッキリ記憶しているのですが、小3の時、家の鏡に映った自分の姿に「コリャ見た目はダメだな。内面頑張って勉強もしないと」って、将来誰かに見初められる事は諦めました。 今になって、小3で凄い達観と思うけど、本当です。そして、小5の時「どんなに憧れ羨んでも、その人の通り生きる事は出来ない」って考えました。「私は私のようにしか生きられない」って。 傍目には分からなかったと思いますが、内実大変な環境で育って居たので、早熟だったのでしょう。苛酷な環境は、子供を子供で居させてくれないのかも知れません。 なので、比較なんてそもそも出来ないものなのかも。 自分の人生を活き活き充実して、出来るだけ嘘や言い訳少な目公明正大に生きて行きたいなって思っています。 don't worry be happy!
特定の誰かに対して劣等感を抱くというよりは、何事においても世間一般の平均より下にいるってことが辛い。。
自分が自分軸で生きていたとしても、心が貧しい方から揺さぶられるように邪魔されることもあるので、心穏やかに生きるということは、とても難しいことだと感じています。
夜疲れてる時、そういう思考に陥りやすい。自分と兄弟、子供、親との経済格差。ホントそう。ついつい比較してしまうけど、そもそも違う人間だから、自己実現はできてはいけど、意味なく比べないように心がけてみます。
他人の目を気にして嫌われるのを恐れて他人軸で生きている自分です。 少しずつでいいから自分軸で生きる考えと行動を起こしています。
発達障害、精神疾患、身体障害、毒親、アダルトチルドレンこれだけ生きにくいと土俵にも上がらないでいられる😓
他人のことなど考える暇もないほど、熱中して打ち込めることが見つかれば良いと思います。
SNSのせいでみんな個性が無くなってきてる気がする 周りがこれしてるから自分もはみ出ないように合わせないと感が強い
心理学者加藤諦三氏の著書には、幼少期にありのままの自分を両親が愛してくれなかったことで、無意識下に孤独や敵意を抱く→人に優越すればチヤホヤされるのではないか、それによって孤独から抜け出せるのではないかと思い、優越を望むようになる→この優越を望む願望が、人と自分を比較するようになると、書かれております。
インスタグラムに投稿しないでもやりたいこととかが本当にやりたいことだよなーって思ってる
他人のことばかり気にしながら 生きるとストレスたまるし 自分らしさを第一に考えながら 生きるほうが楽しいですよね😊😊
上を見ても下を見てもキリがないので、人と比べて一喜一憂するのはやめました。 代わりに、過去の自分とは比べまくっています。
楽しそうにしてる人を見ると ぜったいに自分より楽しそうとか恵まれてるって思ってしまうけど 実際は他人がどう思ってるかなんて確かにわからないですね
@Another_Starlight_