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【源氏物語あらすじ解説】松風は光源氏を寂しく待つ明石の君の象徴だった|めっちゃ!源氏物語

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【語句解説】
・明石の君(あかしのきみ)
…光源氏の愛人の1人で、源氏の一人娘(のちの明石の中宮)を産んだことにより、紫の上、花散里に次ぐ地位を得る。父は源氏の母桐壺更衣の従兄弟にあたる明石の入道、母は明石尼君。

・二条院(にじょういん)
…桐壺帝の自邸。母・桐壺更衣の実家を光源氏が相続し、改装して暮らしている。二条院の西の対(離れ)には光源氏最愛の妻・紫上が住まっている。

・対(たい)・対の屋(たいのや)
…寝殿造りで、主人の起居する寝殿に対して東・西や北につくった別棟の建物。 妻や子女が住み、渡殿(渡り廊下)などで寝殿(母屋)と結ばれる。

・二条東院(にじょうとういん・にじょうひがしのいん)
…光源氏の自邸・二条院の東隣の敷地に増築された寝殿。西の対(離れ)には光源氏の妻の一人・花散里が住まい、家政の一切を取りしきる。

・花散里(はなちるさと)
…『源氏物語』の第11帖の巻名。またその登場人物の女性の名。麗景殿の妹・三の君で、容貌はそれほど美しくはないが、姉の女御同様、温和な慎ましい性格で、将来光源氏の重要な妻の一人となる。光源氏の詠んだ歌「橘の香をなつかしみほととぎす花散る里をたづねてぞとふ」にちなむ。

・政所(まんどころ)
…寝殿造りにおいて、主に家政の事務や管理を行う場所。食事や日用品の管理、使用人の労務管理、帳簿の記録・整理、使用人の管理など、政所は生活を支えるための運営を一手に引き受ける重要な機能を持っていた。

・明石入道(あかしのにゅうどう)
…光源氏の母方の祖父の甥。つまり桐壺更衣はいとこにあたる。父は大臣で、妻(後の明石尼君)は中務宮の孫。自身も三位中将という高官だったにもかかわらず、住吉明神の霊験を信じ、受領(播磨守)として明石へ下る。そのまま出家して明石の浦に住まう。娘(明石の君)の良縁を早くから住吉明神に祈願しており、霊夢により光源氏を明石に迎え、娘と結婚させた。光源氏帰京後、別れを惜しみつつ娘と生まれた明石の姫君を妻と共に都に送り、自分は明石に残った。

・葵上(あおいのうえ)
…光源氏の最初の正妻。源氏との間に長子・夕霧をもうける。この名は後世の読者がつけた便宜上の名前で、彼女が主役級の扱いを受ける第9帖「葵」帖から取られている。

・明石尼君(あかしのあまぎみ)
…明石入道の妻であり、明石の君の母。祖父は中務宮(なかつかさのみや)。娘の幸せを第一に考え、身分の異なる光源氏との結婚には反対するが、夫に押し切られる。孫(後の明石中宮)が生まれた後は娘や孫とともに大堰に上京する。

・明石中宮(あかしのちゅうぐう)
…光源氏と明石の君との間に生まれた一人娘。祖父の明石入道が見た夢によって、将来は国母となる運命を約束されている。出自の低い母から生まれたため、源氏は娘を手元に引き取り、正妻格である紫の上の養女となって入内する。明石姫君は紫の上に愛情深く育てられ、美しく育つ。

・中務宮(なかつかさのみや)
…明石の君の母である明石尼君の亡き父。詳細な描写が少ないため具体的な人物像は明確ではないが、「中務宮」という称号から、天皇の皇子、つまり宮家の一員であることがわかる。明石の君の和歌や琴の才能は祖父・中務宮から受け継いだものと考えられる。

・藤原公任(ふじわらのきんとう)
…966〜1041年。平安時代中期の公卿・歌人。藤原北家小野宮流、関白太政大臣・藤原頼忠の長男。官位は正二位・権大納言。三十六歌仙の一人、百人一首では大納言公任、『和漢朗詠集』の撰者としても知られる。

・大堰川(おおいがわ)
…京都府を流れる淀川水系の一級河川。嵐山の渡月橋(とげつきょう)から下流は桂川と呼ばれ、渡月橋から上流を大堰川、亀岡から保津峡を流れる間を保津川と呼ばれる。

・藤原道長(ふじわらのみちなが)
…966〜1028年。平安時代中期の公卿。藤原北家、摂政関白太政大臣・藤原兼家の五男。中宮彰子の父であり、後一条天皇・後朱雀天皇・後冷泉天皇の三帝の外祖父として平安中期の権力を一身に集めた。

・源融(みなもとのとおる)
…822〜895年。嵯峨天皇の第十二皇子。天皇の皇子でありながら源氏姓を賜り臣籍降下したことから『源氏物語』の光源氏のモデルとも言われる。嵯峨源氏融流初代。鴨川の畔に「河原院」(かわらのいん)という巨大な邸宅を建築し、塩竃の浦を模した日本庭園を造ったことは『源氏物語』第2帖「帚木」でモデルとされている。また嵯峨にあった別邸の地は今日の嵯峨釈迦堂清凉寺、宇治に営んだ別邸の地はのちに平等院となった。

・清涼寺(せいりょうじ)
…京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町にある浄土宗の寺院。山号は五台山(ごだいさん)。本尊は釈迦如来(生身の釈迦)。嵯峨釈迦堂(さがしゃかどう)の名でも知られる。

・惟光(これみつ)
…光源氏の腹心の従者。乳母子の一人。

・伊予介(いよのすけ)・常陸介(ひたちのすけ)
…伊予国(愛媛県)の国守の次官および常陸(茨城県)の国守次官。『源氏物語』では、空蝉の夫をさし、第16帖「関屋」では常陸介に出世している。

・空蝉(うつせみ)
…『源氏物語』第3帖の巻名。また、当時十代であった光源氏との逢瀬を初めて拒んだ女性の呼び名。名前の由来は、求愛に対して一枚の着物を残し逃げ去ったことを、源氏がセミの抜け殻によそえて送った和歌による。

・七弦琴(しちげんごと・しちげんきん)
…中国の伝統楽器「古琴」を指す。古琴は中国で3000年以上の歴史を持つ弦楽器で、七本の弦が張られており、手で弦を弾いて音を出す。繊細で深い音色が特徴。日本では箏(そう)や和琴(わごん)などと区別して「琴(きん)」または「琴(きん)のこと」と称した。

・夕霧(ゆうぎり)
…光源氏と葵の上との間に生まれた御子。夕霧大将(ゆうぎりのたいしょう)とも。

・七夕伝説(たなばたでんせつ)
…中国の神話で、天帝と織女、牽牛の恋愛と別れを繰り返す物語に基づく。日本では織女(しょくじょ)を織り姫(おりひめ)、牽牛(けんぎゅう)を彦星(ひこぼし)と呼び、カササギの橋渡しにより年に1度、7月7日の夜にだけ会えるという伝説がある。


【概要】
平安時代の女性は、たとえ好き合った男性でさえも、ただその訪問を待つしかありませんでした。当時は「通い婚」が主流。男性は夜暗くなってから女性のもとを訪れ、明け方帰っていきます。電話もLINEもない時代、女性は「今夜はもしかしたら来てくれるかもしれない」と、ただひたすら「待つ」ことがすべてだったのです。そんな明石の君の松風に掛けた「待つ」思いと琴の響きが、嵐山の風情ある松林にリンクされて漂ってくる…そんな『源氏物語』第18帖「松風」の巻をお楽しみください。

#源氏物語 #松風 #めっちゃ!源氏物語

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